WHERE ARE YOU ?

The pain of parting is nothing to the joy of meeting again. (Charles Dickens, 1812- 1870)

カテゴリ:死別 > 突然死

突然死での遺されて何年か経つと、「せめて最後の言葉が聞きたかった。遺書でもあれば...」と、そんなふうに思うことはありませんか?死を覚悟した時の人間の言葉にはおそらく真実があります。もう失うものはない、と覚悟した時に人間は嘘をつく必要がないからです。例え嘘だ ...

伴侶であれ、子どもであれ、親であれ… 大切なひとを喪ったあとにひとつの支えとなるのが亡くなる前の「最後の言葉」です。ただ、突然死の場合には「最後の言葉」はどうしてもありふれた日常的な言葉になります。「行ってきます」かもしれないですし、「ごちそうさま」かもし ...

死別直後、周りのひとからよく言われました。「死別というこれだけ辛い経験をしたのだから、これからは大抵のことには耐えられる」と。自分でもそう思いました。けれどもそれは大きな間違いです。死別を経験したからこそ、その直後は心も体も極限まで弱り切り、今まで耐えら ...

『間違ったことがいつか君を救うから』これはELLEGARDENというバンドの「ジターバグ」(作詞: 細美武士) の歌詞の中の一節です。死別を経験すると (それが突然死の場合は特に)、どうしてあの時出かけてしまったのだろう、どうしてあの時もう少し早く帰らなかったのだろう、ど ...

奥様と死別したシングルファザーの方の動画。その気持ち、すごくわかる...という感じで少し見るのが辛かったですが。お子さん、まだ小さくて当時は死の意味もわからなかっていなかったでしょうから、これから淋しいという感情を噛み締めなくてはいけないのかと思うと.....切 ...

6年前、死別の悲嘆の中にあっても「こんな思いをさせなくて良かった」と思えるだけの優しさが自分の中にはありました。6年経ったら、そんなふうに思える優しさは明らかに減ってきました。6年前、つらさの極限の中でも「愛されていたのだから、残りの人生もしっかり生きなくて ...

命日が近づくと必ず体調が悪くなるの、あれ、なんでしょうね。身体中が痛くなって普通に歩くのも息苦しくなったり、アレルギーが出たり。亡くなった日の空気感とか、空の色とかを鮮明に覚えているせいかも知れないですよね。もちろんメンタルも弱るのですが、私の場合はより ...

とりあえずこの動画をご覧ください。爆笑問題の太田さんがアマゾン で購入したという100万円のお線香。数億円の香木が存在するのですから100万円のお線香があっても不思議ではないですが、買うひとがいるんですね。どんなものか見てみたくて探してみましたが、残念ながら見つ ...

突然死というのは文字どおり「突然」予想もしなかった形で訪れます。他人事としか思えないようなことが突然目の前で起ったり、いつも通りに玄関を出て行ったひとと次に会うのが病院や警察だったりします。「今思えば」と思うことはいくつかありますが、本人ではなく一番身近 ...

5年前の今頃、死別をして初めての冬。 クリスマスマーケットの始まっていたドイツの街を泣きながら歩いていた。 すごく寒くて、泣くと涙が肌に刺さるようだった。あの頃は、「大切なひととの死別以上に人生で辛いことはない」と本気で思っていたし、実際にそうだった。でも ...

先日Twitterでアンケートを取ってみました。(ご回答くださった方、ありがとうございます)回答については母数が少ないので統計として使用するには無理がありますが、はやり死後も魂や意識が何らかの形で存在すると「信じたい」と思うひとが多いようです。死後の意識や魂の存在 ...

子どもの頃は七夕の伝説を聞く度に「一年に一度しか会えないなんて…」と思っていました。関係としては絶望的だなと。でも死別をすると、「もし亡くなったひとに一年に一度は必ず会えるとしたら…」と考えると、絶望どころかそれは信じられないほど大きな希望に思えます。物 ...

私の亡くなった伴侶はイスラム教徒。とはいっても、コーランも読んだことはないしモスクにお祈りにも行ったことはないし、メッカ巡礼なんて考えもしないという感じでした。 自分の家の宗派も知らない日本人が宗教を聞かれて「えーと… 一応仏教徒?」みたいな答え方をするイ ...

何度かブログの記事にもした台湾系アメリカ人の知り合いは、成人して間もない息子さんを突然死で亡くしています。彼女と知り合ったのは私が死別をする前でした。私には子どもがいないので、子どもを突然喪うということの辛さがどれほどのものかは今でも実感はできません。た ...

母国語でも外国語でも意外と口癖というのは多いものです。 例えば私のブログ記事の語尾は大体「かもしれません」で終わっています。これは断定的な言い方を意識的に避けているためですが、ある意味無責任な言い方でもあります。そこには批判を避けるために敢えて曖昧な言い方 ...

癌で3ヶ月の余命宣告を受けて恋人が亡くなった方に「覚悟ってできるものですか」と聞いたことがあります。答えは「死ぬということに対する覚悟はできないけれど、できることはすべてやろう、という意味での覚悟はできました」というものでした。「でも、できることをすべてや ...

先日、私の記事を全部読んでくださったという方からメッセージをいただきました。まだ死別して日が浅い方で、いただいたメッセージを読みながら5年前のことを思い出して涙が出てきました。もうすぐ5年経ちます。 キリスト教国のドイツで(敬虔ではないにしろ)イスラム教徒が ...

大切なひととの「死別から立ち直る」という表現が正しいかどうかは別として、そのための第一歩はおそらく「死を受け入れる」ということだというのは何となくわかります。死別直後の「こんなことはありえない」「これは悪い夢に違いない」「どこかで生きているはず」という感 ...

亡くなった伴侶が心臓発作を起こしたのは運転中で、私は助手席にいました。車が制御不可能になり、反対車線に突入し、対向車のヘッドライトを浴びたときは「もうこれで死ぬ」と思いました。ただ、あのときは怖いと感じる余裕さえなく、恐怖は意識不明の伴侶とともに救急搬送 ...

ノムさん (野村克也氏)の記事は以前にも書きましたが、彼のインタビュー記事を読むとその辛さが本当に身に染みてわかります。 このインタビュー記事の最後には「背中を押していただいた」と言っていますが、本音は橋田さんの言葉に「同じ死別者でもやっぱり分かり合えないな ...

こういう記事を目にするといつも思う、本当は助かったはずだと。 AED自体は世界中で普及しているし、設置が義務付けられている場所も多いが、実際に使えるひとは少ない。訓練を受けているはずの警察官でさえ手が震えているのを間近で見た者としては、一般人が実際に動揺せず ...

「どうしてこんなことになったの?」というのは、運転中に心臓発作を起こした彼と一緒に救急搬送された私に皆から投げかけられた言葉です。警官からも医師からも、かけつけた親族からも。どうしてこんなことになったの?どうしてこんなことになったの?どうしてこんなことに ...

今日が月命日だというのは覚えていたけど、自分の誕生日だというのは忘れていて昨日ブロ友さんからの「明日お誕生日ですね」というメッセージで思い出した…。 自分の記憶力の低下が怖い(笑)  年齢が日本人女性の平均体重のような数字になっていてそれも怖いけど。よく「自 ...

ひとには見ると辛くなるものが必ずひとつやふたつはある。私にとってはAED (自動体外式除細動器) がそのひとつ。 救急隊の到着前にAEDを使用することにより救命率は数倍高くなると言われており、どこの国でも公共の場所にはかなりの割合で設置されている。昨日駅で偶然AEDを ...

例えばグラス一杯の水を持ち上げるのはそんなに難しいことじゃない。でもそのグラスを3年、4年、5年と持ったまま過ごせと言われたら? おそらく手は麻痺してしまうだろう。そもそも無理なので、どこかでグラスを落としてしまうだろう。死別の苦しみというのは、謂わば水の入 ...

語彙力の有無に関係なく死別の辛さを言葉にするのは本当に難しい。 どんなに言葉を尽くしてもわかってもらえないこともあるし、「辛いよね」の一言でわかり合える場合もある。 でもわかり合えるひとを見つけるためには、言葉を尽くしてわかってもらえる努力もしないといけな ...

友人が送ってくれたGIFメッセージ。 「人生は鏡のようだ。 鏡に向かって微笑めば鏡も微笑みを返すだろう。」というような意味で、確かに人生を肯定的に捉え不平不満を言わずに微笑みを向ければそういう人生が送れる確率はとても高いと思うし、役に立つ格言だと思う。 ただ ...

今日は4度目の祥月命日。 もう4年なのか、まだ4年なのかよくわからないけれど、やっぱり命日というのは心が重い。冷たくなった皮膚の感触をこの手がまだはっきりと覚えている。あの日、ひとが死ぬというのはこんな風に冷たくなるということなのだ、と漠然と思ったことを思い ...

トラウマというほど大袈裟なものではないかもしれないけれど、今でも足がすくんでしまうのが救急車の音。私の亡くなった伴侶は運転中に心臓発作を起こして運転不能に陥り、助手席にいた私は何もできず、反対車線を蛇行する車の中で対向車のヘッドライトを浴びた瞬間のことだ ...

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