経験しないとわからないことも確かにある

バングラデシュがアジア最貧国だということは知っていたが、行ってみてはじめて何故最貧国なのかがなんとなくわかった。理由のひとつは確実に気候だと思う。 気候が国力に与える影響は計り知れないと思った。 シンガポールも高温多湿だが、バングラデシュはその比ではない。米国で摂氏40度超えや零下20度を経験したことがあるが、一番堪え難い気候というのは個人的には今のところバングラデシュだ。

あの気候の不快感で集中力も判断力も全く働かない。 他の場所を知らなければ耐えられるのかもしれないが、ムラーのように密入国であっても日本で10年も暮らしたらバングラデシュの環境に適応できなくて精神を病むようになっても仕方がないと思う。


今の時代、ネットでほとんどのことは経験した気分になれる。絶景などは実際に見ても動画でも確かにそれほど大きな違いはない。ただ「気候」や「味」のように皮膚で感じるものは映像や言葉で伝え切れるものではない。


「想像力を働かせれば…」とよく言われるが、経験しないとわからないことというのは確かにある。


救出されるまで


ムラーと睨み合いながら何時間経ったのかよくわからない。自分が殺されないこと、そしてたとえ正当防衛でも相手を殺さないこと、頭の中にあるのはそれだけだった。

豪雨が収まり普通の雨に変わった頃、ムラーの母親が外側からかけた鍵を開けた。私を見て酷く驚いた顔をしていたので、私を殺させようとしたのはやはりこの母親なのだと確信した。


ムラーはまるで自分が被害者かのように喚き散らし、母親と何か口論のような形で話し小屋を出て行った。母親はそれを追うように出て行った。鍵は開けたままだった。


疲れと空腹と喉の渇きで倒れそうだったが、寝るわけにはいかない。


しばらくすると子どものひとりがこっそりと様子を見に来た。私にいちばん懐いていた7歳くらいの男の子だ。私は彼に英語とジェスチャーで水が欲しいと伝えた。彼はすぐに察して水と庭の木のマンゴーを持ってきてくれた。


「Thank you, my best friend」と言うと彼は満面の笑みで「You are my best friend」と返事をした。このセンテンスは私が彼に教えたいくつかの英語のフレーズの中で彼がしっかりと意味も理解して使えるようになったものだ。他の子どもたちは歌やジャンケンなどエンターテイメント系のことにしか興味を示さなかったが、この子だけは英語や算数を教えると目を輝かせていた。勉強が楽しいと思えるのは或る意味ひとつの才能だ。 この子が日本の子どもたちと同じような環境で勉強ができたら、と心から思った。


何時間か経つと大人たちだけが小屋に集まってきた。その中に初めて見る顔があった。彼は自分がこの家の遠い親戚だと英語で自己紹介をした。雰囲気から信用できそうだとわかった。彼は通訳をしてほしいと半ば強引に連れてこられたようで状況を把握していなかった。 私が今までの経緯を説明すると、これを計画したのはおそらくショブージュ(フセイン)だろうが、その真意がわからないと訝しがった。私自身も、ムラーを日本に行かせるためにこれだけ手の込んだことをするとは思えず、その目的をはかりかねていた。


信用できそうだとは思っても、 血縁意識の強いバングラデシュでその「親戚」にあれこれと話すのはリスクもあるとは思った。それでも勘としか言えないが信用できると思い、すべて話した。ムラーは日本語はできるが、英語は全くできない。それは私にとってもその親戚の男性にとっても都合がよかった。彼は親戚なのでムラーたちを警察に売るようなことはできないが、私を危険に晒して犯罪に加担するようなことはしたくないと本音を語った。


その時にムラーの携帯が鳴った。日本大使館からだった。ムラーは黙って私に携帯を手渡した。まだ自分が日本に行けると信じているようだった。若い職員の方があれこれと質問するが、周りは或る意味敵ばかりだ。迂闊なことは言えない。躊躇していると、別の職員の方が電話に出た。

「今、不用意に答えることのできない状況にいらっしゃいますね?」と言う。私が「はい」とだけ答えたると「ではイエス、ノーだけで答えてください」と言った。


私は助かった、と思った。危機的状況にあっては救う側にどれだけ経験と状況判断力があるかが鍵になる。その職員の方は私にイエス、ノーで答えられる質問で状況をすべて把握したうえでこう言った。


「そこの場所はこの携帯の番号から把握できます。何時になるかわかりませんが、今日中に現地警察が救出に向かいます。できれば気づかれないように荷物をまとめてください。最悪パスポートだけは持って出るようにしてください。靴は常に履いていてください」


私は「ありがとうございます。宜しくお願いします」とだけ答えて電話を切った。ムラーや母親が「大使館は何と言っている?」と騒ぎ出した。


私は平静を装って「本来、密入国などしていればビザはおりないが、私に危害を加えず解放するなら特別に考慮するから申請書類を用意するように、と言っている」と言った。


密入国履歴があり邦人を拉致した外国人にビザを発給するほど日本が甘くないことは普通ならわかりそうなものだが、ムラーの知的レベルではそこまでは理解できなかったようだ。「親戚」の男性はすぐにそれが嘘だと気付いたようだが私に目で「大丈夫だ」というような合図をした。


ただ問題は「現地警察」が信用できるかどうかだ。殺人さえも賄賂で見逃したこの村の警察が上からの指示で来たとして本当に救出されるのだろうか、という不安は拭えなかった。


(続く)




 今日のドイツ語 ( 710 ) 


Polizei (ポリツァイ)

これは英語の「police 」で 「警察」の意味です。
 
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