智を以て愚に説けば必ず聴かれず

これは古代中国の思想家、韓非の「韓非子」にある言葉である。賢い人間が賢い人間を説得するのさえ難しいのだから、愚かな人間を正論で説得しようなどというのはそもそも方法論として間違っている、というような意味である。

極端に言えば「馬鹿に正論は通じない」ということである。

正論が通じないなら賞罰(法)で治めるしかない、という意味で韓非の思想は法治国家の原点ともいえる。
そんな韓非の思想は秦の始皇帝に高く評価されたと言われている。


「韓非子」の中にある逸話に「ある国の家臣が、このままでは他国に攻められ国は滅びると王に進言したところ、それを疎ましく思った王がその家臣を処刑した。 その後この国は他国に攻め入られ滅びた」というものがある。


私たちは、正論というものは誰にでも理解されると誤解しがちだが、実は賢いひとを正論で説得するのさえ難しい。馬鹿であれば尚更だ。 自分が賢いのか愚かなのかというのは結局は他人との比較によるので、或る意味誰もが賢く誰もが愚かである。そして誰もが正論にイラっとした経験を持ったことはあるだろう。私も過去に「正論は毒にも薬にもなる」というような記事を書いた記憶がある。


バングラデシュで拉致される

いずれにしても、私はバングラデシュに着いてすぐに拉致される形となった。3人の男たちの知的レベルがそれほど高くないことはすぐにわかった。 従業員として紹介されたふたりはまだ10代だった。 フセインの兄、という男は質問の答えに窮すると奇声を発した。

彼の名字はフセインではなくムラーだった。 

彼らが私を騙した目的を知る鍵は「裁判所」という単語だった。ムラーという男は40歳をこえていたが知的レベルは同世代の男性と比べるとかなり低くまるで小さな子どもと話しているようだった。

フセインほどの狡猾さは持ち合わせていないらしく、自分たちの計画をペラペラと喋ってくれた。 

ムラーが日本に10年いた、というのは事実だった。但し密航だった。アパレル製品の貨物船に紛れて入港したらしい。 最後は町工場のようなところで働いていたらしいが、報酬を払いたくない雇用主が入管に密告して収容されたようだ。

入管法で5年間は日本に入国できないという説明を受けた上で強制送還になったようだが、それを「5年経てば入国できる」と理解したようだ。

バングラデシュの農村部では密航であれ何であれ、日本などの先進国に10年いたというのは尊敬の対象になるらしい。信じ難い話だったが、ムラーも強制送還になって村に帰った後は英雄扱いだったそうだ。しかし数年経てばそんな扱いもなくなる。どうもそれが精神を病むきっかけになったらしい。


もう一度日本に行きたいというムラーを助けようとしたのが弟のフセインだったようだ。日本人を拉致して偽装結婚をさせ配偶者ビザを、と考えたらしい。


日本の配偶者ビザの要件を全く理解していなかったようだ。そんなことをしても被害者が大使館での諮問の段階で拉致されたと救助を要請すれば意味がない。


狡猾なフセインの計画にしては随分甘いと思った。


ムラーは日本に行くことしか考えていなかった。 ただ、後でわかることだがフセインの本当の計画はムラーの日本行きではなかった。 フセインは私の航空券を買う時に旅行保険に加入していた。 死亡保険の受取は法定相続人。フセインはムラーに私を拉致し裁判所で結婚手続きをすればすぐに日本に行ける、と説明したようだった。 ムラーが日本に行こうが行くまいが、裁判所で結婚手続きが済んだ後に私が死ねばムラーは保険金の受取人になれる。


バングラデシュという国で最も大事なのは命ではなく金銭のようだ。 親が女児を売春宿に売るなどというのはよくあることだし、男児であれば腕や足を切り落として物乞いをさせる。 首都ダッカでなぜこれほど多くの肢体不自由児が物乞いをしているのか後で知って驚いた。幼児婚のために売られる子どももいる。


いずれにしても、利用価値があるうちは私は殺されることはない、と判断した。 まだ保険金のことは知らなかったが、とりあえずムラーを「日本に行ける」と騙して在バングラデシュ日本大使館に誘導し、そこで警察に引き渡してもらえばいい。


私がムラーに「配偶者ビザの審査は今はものすごく難しい。それよりも私が保証人になれば観光ビザがすぐに取れるはずだからとりあえず大使館に確認の電話をしたい」と言うとあっさりと電話をすることに同意した。


ムラーは日本語を理解できる。大使館に電話はつながったが、「拉致された」とか「助けてくれ」などと言うのは危険だった。相手が日本大使館では英語で話すのも不自然だ。


私はバングラデシュ人の観光ビザの要件を聞くふりをしながら、電話をできるだけ長引かせた。 所々に不自然な質問を入れ、「何か様子がおかしい」と思ってもらえるようにした。 だが担当者は「詳しくはホームページに記載してありますので」と繰り返す。 私はそれを遮って「ありがとうございます。それでは明日お伺いします。 10時位で宜しいですか? お忙しいところ、本当にすみません」と言い電話を切った。


大使館の電話には発信者番号が表示されるはずだ。 噛み合わない会話から危険を察知すれば何らかのアクションをとってくれるはずだ。気づいてもらえなくても日本大使館に行く口実は作れた。


私はムラーに言った。「今の、聞いたでしょ? 大使館のひとが申請前に直接会って説明してくれるわ。明日10時、遅れないようにしないと」


ムラーはそれを聞いて上機嫌だった。


ただ誤算だったのはムラーがそれを電話でフセインに伝えたことだった。 そんなことを知らない私は「もう大丈夫」と安堵して眠りについた。


次の朝、車を用意したムラーもふたりの青年の様子も少しおかしかった。ホテルはチェックアウトして大使館に行った後、別のホテルに移るという。


車に乗り込むと私はムラーに日本大使館の住所を書いた紙を渡した。首都ダッカでも有数の高級住宅地と言われるところだ。


車内では全員無言だった。 安心しきっていた私は車内から写真を撮っていた。しばらく車を走らせると異変に気付いた。 どう考えても高級住宅地に向かっているようには見えない。

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「道、間違っていない⁈」という私に誰もが返事をしなかった。


それから4時間、私は中国でも見たことがないような農村部に連れていかれた。

(続く)


 今日のドイツ語 ( 703 ) 

Einführung (エンフュールング)

これは英語の「abduction」で 「拉致 」の意味です。

 
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