無視するという選択をしたが

ブログで誹謗中傷を受けたとき、私は炎上覚悟で真正面から向き合い反駁した。 それは闘う価値があると判断したからだ。 



前年のブログの炎上後はブログが荒らされることもなかったが、トルコへの移動中に他のブログで私が誹謗中傷を受けていることに気づいた。 


読者さんも気づいてコメント欄で教えてくれたが、私は気づいていないふりをした。 私のことを心配し擁護してくれているのに申し訳ないとは思ったが、私はその誹謗中傷を一切無視することにした。


クラウゼヴィッツの「戦争論」には、戦略において考察される諸要素は或る5点に集約されると書かれており、その最も重要な要素が「精神的要素」となっている。


その時の私は精神的にはかなり参っており、その状態でくだらない争いをすれば更に自分を疲弊させるリスクがあった。 その時の私にとってのベストな戦略は「徹底的に無視すること」だった。それはまた「闘う価値さえない」という意思表示でもあった。


しばらくしてわかることだが、私を誹謗中傷していたのは死別はしていないが「伴侶との死別経験者」として死別カテゴリーで記事を書いていた男性だった。 薄々、話 (設定) がおかしいとは誰もが思っていた。(その後わかることだが、その亡くなったはずの「伴侶」が「自分が死んだことにされていた」という趣旨のブログを始めて多くのひとが納得した。)


そんなこともあり、この頃から「死別カテゴリー」で記事を書くことは私にとっては「心の支え」から段々と「ストレス」に変化していった。


いずれにしても、今はあの頃と違いネットでの誹謗中傷について法的手段を取ることはかなりハードルが低くなっている。損害賠償や示談に関しては10万〜50万円が相場で費用対効果は決して高いとはいえないが、300万を超える損害賠償の支払いを命じる判例も最近ではあった。


私は誹謗中傷されても法的手段に訴えることはしなかった。 しかし、ネット上での誹謗中傷により自殺者が増えつつある現在のような状況においては、どんな媒体であれ、その影響力の有無に関わらず発信者には勇気を持って誹謗中傷に対しては法的手段に訴え、社会的抑止力を強化していくための一翼を担う責務があると思っている。


「言論の自由」とは他者を尊重した上で成り立つ自由であって、誹謗中傷に対して認められる自由ではない。「言論の自由」を持ち出して誹謗中傷を正当化するのは、Black Lives Matter の抗議活動に乗じて略奪を行う暴徒を擁護するようなものである。



トルコでの生活

それはさておき、バスの中ではほとんど寝られずオトガルで朝までドルムシュを待っていたので、トルコに着いた初日は徹夜明けだった。


ただ、すぐに寝てしまうと夜寝られなくなるので、トルコさんの手伝いをしたりウィリアム君の相手をしたりして1日過ごした。

広めのリビングにある大きなソファをトルコさんがベッドのように整えてくれていて、その日からそのリビングでウィリアム君と寝ることになった。


驚いたのは、ウィリアム君の寝息が私の亡くなった伴侶に似ていたことだ。思い出して涙が止まらなくなるほど似ていた。もちろん、ウィリアム君は犬なので「ハァハァ」言ったり夜中に突然吠えたりすることがあったけれど。


5日もしないうちにトルコさんは日本へ一時帰国し、私とウィリアム君の二人(?) 暮らしが始まった。それからは毎朝ウィリアム君にご飯をあげ、9時に朝食を摂り、10時から6時半頃までトルコさんの家業を手伝うという生活だった。 それが終わるとウィリアム君を散歩に連れて行ってご飯をあげて帰る。そんな生活だった。


放し飼いのウィリアム君は夕食後にひと休みすると、近所のレストランにひとりで遊びに行く。残業がなくてもすぐには家に帰らないサラリーマンのように、レストランをハシゴして11時頃に帰ってくる。


時々真夜中に大声で吠えることはあったが、それを除けば気のいいルームメイトだった。時折、真夜中まで帰ってこないことがあり、心配して探しに行くとカビの生えたパンを咥えてバツが悪そうに私を一瞥する、ということもあった。 


ウィリアム君はご飯をあげても「食べていないふり」はアカデミー賞俳優並みに上手で、よく近所のひとから「ご飯あげたの? 」「ご飯、忘れてない?」と聞かれることもあった。


そんな日々の中で段々とウィリアム君は大事な友だちになっていった。 ご家族と死別をしたブロ友さんたちが愛猫や愛犬を「ペットではなく家族」という意味がよくわかった。



言葉もわからなかったが、従業員さんが彼女の実家に誘ってくれたり現地のひとと触れ合う機会もあった。




トルコ人とドイツ人の国民性はざっくり言うと対極的だった。 乱暴な言い方をすれば、ドイツの常識はトルコの非常識、トルコの常識はドイツの非常識だった。私は亡くなった伴侶を「トルコ人」という認識で見ていたが、生まれと見かけはトルコ人でも彼のメンタリティはドイツ人なのだとその時あらためて思った。



そんな生活に少し慣れた頃、トルコ行きの航空券を買った旅行会社のバングラデシュ人から連絡があった。「死神」というのは黒いマントを着て鎌を持って近づいてくるわけではない、ということにその時はまだ気づいていなかった。


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 今日のドイツ語 (697) 


Freiheit (フライハイト)

これは英語の「 freedom 」で 「自由」の意味です。
 
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