前向きなふりをしていた

この頃は「死にたい」という気持ちを懸命に抑えながら、ブログではできるだけ前向きな記事を書いていた。どう頑張っても前向きな記事が書けない時は時事ネタで書いた。

暗い記事を書くこともあったが、そういう時はまだ気持ちが落ち着いているときだった。しばらくそんな書き方をしていると、他の方のブログを読んだ時に文章の裏側にある本当の気持ちが透けて見えるようになる。 本当は死にたくて死にたくて仕方がないのに、私と同じように敢えて前向きな記事を書いている方がいて親近感を覚えた。

その頃の「死別カテゴリー」のブログはそれまでとは随分と雰囲気が変わっていた。恋愛や再婚の話題が「注目記事」の上位だった。あの頃、お子さんや親御さんを亡くされていた方はあのカテゴリーのブログをどんな思いで読んでいたのだろう。 そもそもそういった記事は読まなかったとは思うが、読んだとしたら「夫や妻、恋人を喪ったひととは死別の悲嘆は共有できない」と思ったかもしれない。


それでもブログはweb log、つまりweb上での公開日記なので基本的には誹謗中傷は別として何を書いても自由だと思う。 但し、死別カテゴリーのブログで死別をしていないのに死別を装ったり、闘病カテゴリーのブログで健康なのに余命わずかだなどと偽るのは論外だと個人的には思っている。


悲嘆の共有というのは難しい。境遇が似ていても分かり合えないことはあるし、似ていなくても分かり合えることもある。


私が絶望の中でも前向きな記事を書くことができたのは、すでに親しいブロ友さんたちがおり泣きたい時は泣けたからだ。死別後、「泣ける場所」を見つけるというのは衝動的な自殺を阻止するために非常に重要なことだ。


精神科医の樺沢先生によれば、自殺というのは「自殺念慮(希死念慮) x 自殺衝動」によるという。どんなに自殺念慮が強くても自殺衝動がなければ自殺には至らないという。この自殺衝動というのは10分から15分で収まるらしい。つまり「自殺衝動」が起こった時に話せるひとがいれば、自殺念慮はなくならくても自殺は防げるのだという。


もし今このブログを読んでいる方で死別直後の方がいたら、どうか「安心して泣ける場所」を本気で探してほしい。探しても探してもなかったら、ブログでも何でもいいのでそういう場所を自分で作ってほしい。


私が前向きなふりをしたのは自分の惨めな境遇を書きたくなかったから、というだけではない。「言霊(ことだま)」というのを昔から重視していたからだ。


この記事を書いていても過去のことを思い出すと辛くて悔しくて涙が止まらなくなることが多い。それでも誰かひとりでも私のようにならないためにどういう場面でどのような意思決定をすればいいのか、というところにフォーカスして、穏やかな気持ちで死別の悲嘆と向き合い自己を再生するきっかけとしてくださったら書いた意味はある。


バスタオルを巻いたまま警官に囲まれる

そんな風にブログでは前向きな記事を書いていたが、子泣き爺とつり目のサザエさんそっくりの中国系カンボジア人夫婦の家での生活はストレス以外の何もでもなかった。夫婦は階下にいるが、1日に何度も私のフロアに出入りするから玄関の鍵はかけられなかった。昼間に鍵をかけておくと文句を言われた。孫の世話を断ってからは妻のほうが更に陰湿になった。


バスルームは階下にもあったが、キッチンはなかったので共有だった。 それでもシャワーを浴びる時と夜12時以降は玄関の鍵をかけた。 寝室には鍵はついていなかった。


この夫婦の朝食は早い。朝5時頃から玄関の鍵を開けて入ってくる。 或る日、彼らが朝食を終えて階下にもどったあと、鍵をかけてシャワーを浴び始めた。


シャンプーのボトルを手にするとシャワールームの磨りガラスの向こう側で、何か動いている。私は裸眼視力が0.01とかなり悪いので、ほとんど見えない。するとシャワールームのドアが開いた。目の前に子泣き爺がいる。 私は悲鳴もでなかった。


子泣き爺はニヤニヤしながら「zusammen、zusammen、OK?」と言う。 zusammen (ツザメン) というのは英語のtogetherで「一緒に」という意味だ。


言葉を失う、というのはまさにこういう状況を言うのだろう。 英語だったか日本語だったか覚えていないが、大声で怒鳴ってシャワーのお湯を浴びせてドアを閉めた。 


子泣き爺は私がシャワーのお湯を向けたせいで滑って転んだようだ。ドスンと鈍い音がした。怒りの中で不安がよぎる。「頭を打って死んでいたらどうしよう」という不安だ。


ドアを開けて急いでバスタオル巻く。 うつ伏せに倒れた子泣き爺は懸命に立ち上がろうとするが、お湯で滑るのと太っているのとで思うように立ち上がれない。


うつ伏せなら頭は打っていないはずだ。 死ぬことはない。最悪でも鼻の骨を折った程度だろう。そもそも鼻も転んで骨が折れるほど高いわけでもない。 私はバスタオルを巻いたまま怒鳴りつける。 もちろん起き上がるのを手伝ったりはしない。子泣き爺が怒鳴り返してくる。 その建物は階下に音がものすごく伝わる。 修羅場だ。


それを聞きつけて階下のつり目のサザエが入ってくる。 子泣き爺は一階に行くと言ってここに来たようだった。鍵を開けて入り、また閉めていた。


つり目が中国語だかカンボジア語だかわからないが、半狂乱で怒鳴っている。夫が水浸しの床で立ち上がろうとして、私がバスタオル姿で立っているのだから当たり前といえば当たり前だ。


その騒ぎは三階まで聞こえたらしい。誰かが様子を見にきて呼び鈴を鳴らす。つり目のサザエが出て行って「ポリツァイを呼んで!」と叫んでいる。 子どもの声が聞こえる。どうも登校前の三階のインド人の小学生の子どもらしい。


つり目のサザエがその子に緊急通報をさせている。


後で知ったことだが、警察には「不審者が勝手にシャワーを浴びている」という通報がされたそうだ。

当時はISIL(イスラム国)のテロが頻発しており、ドイツ警察は不審者情報に過敏になっていた。警察は五分もしないうちに駆けつけたと思う。特にアラブ系の移民の多い地域だったからかもしれない。

こうして私はバスタオルを巻いたまま武装警官に囲まれることになった。

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 今日のドイツ語 ( 694 ) 

Polizei (ポリツァイ)

これは英語の「 Police」で 「 警察」の意味です。
 
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