体調不良など色々あって鬱状態。 昨夜ブログ記事を下書きして寝て朝起きて読んだら公開設定にできないほど陰鬱とした記事であわてて消した。
と言いつつ書き直してもまた同じかもしれないけれど。
死別をしたあと本当に色々あった。死にたいと思ったことは何度もあるけれど、よく考えれば死別が理由ではない。
もちろん感謝をしてもしきれないほど助けてくれるひともいたので、恩返しをするまでは死ねない、という気持ちもある。
そんなことを考えながらコーンフレークを食べようと思ったらミルクがない。 溜息をつきながら近くのスーパーへ。
わざわざ買いに行くのは面倒だが仕方がない。鬱状態も酷かったから二日間で口にしたのはインスタントのマッシュポテトだけでさすがにお腹が空いている。
どんなに鬱状態で死にたいほど辛いと思っても食欲は湧くのだから人間の本能というのは凄まじい。そういう意味では「食欲がない」というのは本能さえ機能しないという意味で「死」に近くなっているということなのだろう。
それはともかく、ヨーロッパの朝は早い。ポーランドのスーパーも6時には開いているし、ドイツのパン屋は5時前に開いているところもある。
スーパーを出ると、日本語の話せるポーランド人の友人に会った。 正直にいえば、友人というほど親しいわけではない。 この辺りに住んでいるわけではないことは知っている、その程度のつきあいだ。
「こんな朝早くどうしたの?」と聞くと「回収にきた」と言う。 要は以前の勤務先で賃金の未払いが1ヶ月分ありその「回収」に来たというわけだ。 賃金の未払いはロックダウン前の3月のこと。
感染症の流行以前からポーランドは個人経営の店舗やレストランなどでは賃金の未払いというのが多いらしい。私もひとのことは言えないが、結局は泣き寝入りとなる場合が多い。期間の差はあれ、個人的に知っているだけで賃金や給与の未払いの被害に遭ったひとは7人いる。
自称「革命家」の変わった女性を知っているけれど、そういうひとが現れるのもある意味、無理はない。タダ働きをさせられるくらいなら共産主義時代のほうがマシ、というのも頷ける。
感染症の拡大で個人商店は軒並み潰れているから、賃金の不払いをされるリスクがあってもとりあえず仕事は辞めずに続ける、というひともいる。
そんな世間話をした後に彼が言う。
「別れたんだ、彼女と。 もう死にたいよ」
死にたい…か、と思いながら「生きていればヨリを戻すチャンスもあるよ」と言い、「ヨリを戻す」という日本語の意味を説明する。
「ヨリを戻す」という日本語は初めて聞いたといい、「 "ヨリを戻す"ができるようにします」と、まるで私のドイツ語のような日本語を残して彼は去っていった。
生きてさえいれば希望はゼロじゃない
そう、生きていれば… 生きてさえいれば、どんなことも希望はゼロじゃない。
簡単な算数だ。 ゼロでない限り、かけるもによってその数字は無限に大きくなる。
でも死んでしまったら希望は完全に絶たれる。
それでもこの5年間で何度死にたいと思っただろう。死にたい理由は死別ではないけれど、全部死別のせいにしてきた。
誰でもそうだと思うけれど、死にたい理由を説明すれば「生きたいのに生きられないひともいる」と不快な形で論破しようとしてくる輩もでてくる。 死別のせいにすれば、とりあえず同じ境遇のひとは寄り添ってくれるし、自分が置かれている悲惨な状況をわざわざ説明する必要もない。
それでも死別から5年も経つと死別を「死にたい理由」にするには無理がある。 死別は遠因にはなるが直接の原因とは言い難くなる。
それに加え、本当に死にたいと思うときには「死にたい」と心理的に口にできなくなる。「死にたい」と口にするのはバンジージャンプのロープのような役割がある。 それで死ぬのを防いでいる。本当に死にたいと思うほどの境遇にあるひとはそれがわかるから、「死にたい」という呟きを嘲笑ったりはしない。
今思えば不思議なことだが、死別直後は「会いたい」とは思ったが「死にたい」とは思わなかったような気がする。「死ねば会えるかもしれない」という理由で死にたいとは思ったが、苦しみから逃れることを目的にそう思ったわけではないような気がする。
死別の直前、仕事は怖いくらい上手くいっていた。 死別直後、かなり前向きな発言ができたのもそれによるところが大きい。
ところが暫くして、状況は一変する。 ほぼ無傷で助かったとはいえ、亡くなった伴侶が運転中に心臓発作を起こした車が反対車線を暴走して廃車になるほどの事故だった。
いつも「ほぼ無傷」と書いているが、これは骨折などはしなかったという意味だ。 前歯を二本折り、背中と腰を痛めた。 「歯が白くて綺麗ですね」と時々いわれるが、よく見れば歯によって微妙に色が違うし、英語のthの発音はでき難くなっているから英語で会話をしている友人にはすぐに義歯だと気づかれた。
それでも仕事には支障をきたさないように細心の注意を払っていた。生活も不規則にならないようにかなり気をつけていた。
ところが死別から3ヶ月後、大事なプレゼンの最中に背中に激痛が走り立っていられなくなる。背中の痛みはしばらくすると治まったが、気がつくと声が出せない。
その日はクライアントも心配してくれ、とくに咎められることもなく「ゆっくり休んでください」という言葉とともに帰宅した。
ところが1週間経っても声はでるようにならない。それどころか極度のストレスで拒食症にまでなった。ダイエットをしても痩せにくい体質だったのに、拒食症になると体重は恐ろしいほど急激に落ちていく。きつかった洋服がゆるくて着られなくなるほど拒食症は酷くなったが、なんとか声はでるようになった。
声はでるようになったが、今度は酷い咳が止まらなくなった。 咳が止まらないというのは、経験するとわかるが想像以上に辛い。
あまりにも何もかもが上手くいかなくて死にたいと思った。 「あの時どうして一緒に死ねなかったのだろう」と、そんなことばかり考えるようになった。
肺の下部が白くなったレントゲン写真を見せられた時、医師に聞いた。「癌じゃないですよね?」
死にたいと思いながら癌に怯える自分は滑稽でしかないが、それが人間なのだと思う。
癌ではなく感染症によるものだったが完治には1ヶ月以上を要した。
ボロボロになった体と死別の悲嘆を抱えながら真っ暗な部屋で打ち上げ花火の音を聞きながら私は2016年の新年を迎えた。拒食症は相変わらずで、水を飲むだけで胃が痛くなった。寒くなってから背中と腰の痛みは更に酷くなっていた。
地獄だと思った。しかし、その後に起こることと比べればそれは地獄と呼ぶほど酷いものではなかった。
その後私は立て続けに悲惨な目に遭い、命の危険に晒され地元警察に救出されるという経験さえすることになる。
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今日のドイツ語 ( 687 )
Beruf (ベルーフ)
これは英語の「profession」で 「職業 」の意味です。
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