何度かブログの記事にもした台湾系アメリカ人の知り合いは、成人して間もない息子さんを突然死で亡くしています。
彼女と知り合ったのは私が死別をする前でした。
私には子どもがいないので、子どもを突然喪うということの辛さがどれほどのものかは今でも実感はできません。
ただ突然大切なひとを喪うという意味ではその辛さは想像ができます。
突然死で息子さんを喪った彼女は、死別から数年経っても「死にたい」と呟くことがありました。でも「死にたい」と呟きながらも、彼を産んで育てたことに後悔はまったくないと言い切っていました。
もしも同じ運命が訪れると決まっていてももう一度同じ決断をするだろうと言っていました。
彼女は息子さんを喪って、死にたいという気持ちが抑えられないほどの辛さを味わいながらも、同時に息子さんが生まれたときの大きな感動もまた忘れられないものだと言います。
彼女は言いました。
「特に宗教を信じているわけではないけれど、あの子が生まれた時はじめて、神さまありがとう、と心の底から思えたの」
その時の感動と、それから彼と過ごした日々の幸せを彼女は忘れられないと言いました。
誕生日、クリスマス、サンクス・ギビングなど特別な日の大きな笑顔とはしゃぎ声、日常のはにかんだような、シャイな笑顔… 彼のすべてが彼女にとっては宝物だそうです。
死別の苦しみは耐え難いほど大きいけれど、彼が約20年の人生で彼女に与えた喜びはぞれを上回るものだったのでしょう。
以前、コメントで「もしこういう苦しみを味わうとわかっていても、もういちど同じ決断をしますか?」と聞かれたことがあります。
その時は「します」と断言しました。
今思うと、あの時は死別の苦しみがこんなに長く続くとは思っていなかったからかもしれません。今同じことを聞かれたら即答はできません。 考えに考えて、コメントの返信もすぐにはできないかもしれません。
断言できるということは自分の過去を肯定できるということでもあります。
自分の過去を肯定できるというのは、過ぎ去った人生を肯定できるということですから幸せなことです。
逆に言えば、死別の苦しみの中に長くいればいるほど過去を肯定できなくなる、ということにもなります。
自分の人生のなかに存在した大切なひとを否定しないためにも、私たちは死別の苦しみの中ではやく光を見つけないといけないのかもしれない、と思うことがあります。
今日のドイツ語 ( 661 )
Waage (ヴァーゲ)
これは英語の「Balance」で 「天秤」の意味です。
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