大切なひととの死別後の体調の変化というのはおそらくほとんどのひとが経験していると思います。良い変化ではなく、悪い変化として。


死別という極度のストレスが身体にもたらす影響は大きいものだと思います。


拒食症などの一時的なものだけでなく、中には慢性的なものもあります。私の場合はアレルギーというか、蕁麻疹のようなものでした。


最初は死別からすぐでした。 全身が痒いなと思ったら翌日には真っ赤になり足や腕の毛穴から血が吹き出してそれが繋がって1日で無数の切り傷のようになりました。アレルギーテストでも原因がわからず、結局「ストレスによるものでしょう」というありきたりの結果でした。


水のせいかもしれないとも思いましたが、恒常的にということではないので水が直接的な原因というわけでもなさそうです。


それからはほとんど毎年のようにこの原因不明の蕁麻疹のようなものを発症します。 今年は4日前の月曜の夕方でした。 それから今日までは服の生地が触るだけでも痛い、という状況でした。


死別から5年経って「少しでも前向きに生きよう」「支えてくれたひとにいつか恩返しがしたい」と殊勝なことを考えることも少しはできるようになりましたが、一旦体調を崩すとそういう思いも瞬時に吹き飛んで「早く死にたい」「早く解放されたい」という思いで頭がいっぱいになります。


今朝やっと少し落ち着いて「せめてブログを書こう」と思えるくらいにはなりました。


死別をするとどうしても精神的な部分にばかり目がいきがちです。 現在は身体障害の方への差別に繋がるとしてあまり使われなくなった「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」というセンテンスですが、内容的には実はかなり正しいと思います。


死別の悲嘆や辛さを少しでも和らげたいと思ったら、最も注力すべきは「健康管理」、それしかないと思います。


ところで、個人的に「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉を身体障害の方への差別として使用しない、というのはむしろそれ自体が差別だと私は思っています。


「健全なる肉体」というのは他のひとと同じ、ということではなくその個人が維持できる最高の身体的状態、という意味だと捉えるのが自然です。


私の伯母は全盲だったそうですが、「健全なる精神」の持ち主だったそうです。 盲学校ではなく健常者と同じ女学校へ進学できるだけの学力があり、他の兄弟の誰よりも優しかったそうです。


透き通るように美しい肌で、彼女の父親である私の祖父が「おまえの目が見えて自分の顔を見ることができたらどれほど自分を誇らしく思ったかと想像すると悔しくて仕方がない」と言った時には、「もし本当にそんなに美しくて、それで目が見えたら私はきっと他のひとよりも傲慢で誇らしいとはいえない人間になっていたかもしれないわ」と笑いながら答えたそうです。


そんな伯母は17歳で亡くなったそうです。 目が見えず若くして亡くなった彼女のことを可哀想だというひとは多いですが、私は彼女は可哀想なひとではなくとても幸せなひとだったのではないかと思っています。


自分に与えられた、他人からみれば不幸にしか見えない人生を幸せなものとして捉えるという卓越した能力を持っていた、という意味において。


アレルギーだからけの体を鏡で見ながらイライラしている私は彼女の3倍以上の時間を生きているのに、そして同じ血を引いているのに、何故彼女のように考えることができないのだろうと、ふと自己嫌悪に陥りながら、それでもいつかそんな風に考えられる日が来たらいいなと素直に思いました。



 今日のドイツ語 ( 657 ) 

Auge (アオゲ)

これは英語の「eye」で 「目」の意味です。
 
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