野村克也さんの訃報で改めて思ったこと。
「妻の死」は夫の寿命を縮める、ということ。 その逆はわからないけれど。


自分の親族や知り合いを見渡してもそういうケースがかなり多い。


料理なども含め家事全般を妻に依存しているから、という説もあるが必ずしもそうとは限らない。実際に、野村さんご夫婦のところはお手伝いさんがいたので、日常生活での家事負担が夫人との死別後に克也さんにのしかかったというわけではない。


結局は「精神的なダメージ」が寿命を縮める要因になった、ということだろう。


野村克也さんは日本の野球史上に永遠に名前が残るほどの方だから、普通のひとが持ち得ないほどのメンタルの強さを持っているはずだが、それでも夫人の死後のインタビューでの憔悴しきった様子は他人事とは思えないほどだった。




これは「男とは案外と弱いものだ」で片付けていい話ではないような気がする。


これからますます高齢化は進み、老後いかに生きるかは社会的な命題になる。 「健康」というと身体の健康ばかりに目が行きがちだが、心の健康はそれと同等に重要になってくる。


長生きができても幸せでなければ意味がない。幸せの定義はひとそれぞれだけれど。


「死にたい、死にたい」と思いながら生きるのは、生きたいのに生きられないのと同様に本人にしかわからない辛さに満ちている。


野村克也さんは近くに息子さんご夫婦も住み、沙知代夫人の連れ子だった団さんからも慕われ、日本中にファンもたくさんいた。経済的にも普通のひとよりははるかに恵まれており、子育てなどの負担もない。寂しいと言えば、喜んでかけつけてくれたひとは数え切れないほどいたはずだ。


それでも抱えざるを得なかった計り知れない辛さと絶対的な孤独。

その辛さをやわらげ、孤独を癒す場所がこれからの社会では絶対に必要になると思う。 


大切なひととの死別は、その辛さは想像を超えていて、経験しないとなかなかわかるものではないし、経験しても的確に言葉にするのは難しい。


自分の親と同世代のひとが、しかも日本中から愛されたひとが「穏やかで幸せな晩年」を過ごすことができず、死別の悲嘆をかかえたまま逝ってしまったことが、無性に切なく悲しい。




同じ経験をして、自分も辛さの波の中でまだ溺れているような状態で何ができるわけでもないけれど、この経験を無駄にしてはいけないような気がする。


医療が発達し長生きができるようになっても、幸せを感じられなければその意味はない。


これからの社会が身体の健康だけではなく、本当の意味での心の健康に目を向けて支え合えるようなものにならなければ、これから訪れる超高齢化社会は悲惨な社会になってしまうような気がする。


無力すぎて自分には理想を描く力もないし、辛さの中でもがいているような状態で他のひとのために何かができるわけでもない。 それでも、野村克也さんが感じていたあの絶対的な孤独と辛さを理解できるこの経験を無駄にしてはいけない、とは思う。


「妻の死は夫の寿命を縮める」のは、おそらく検証すればかなりの確率で実証されると思うが、それを実証する前に社会全体として何らかの施策を考えなければいけないような気がする。


 今日のドイツ語 ( 578) 

Frau (フラウ)

これは英語の「wife 」で 「 妻」の意味ですが、Mrs. の意味もあり、「夫人」の意味でも「女性」の意味でも使われます。妻の場合は正式にはEhefrauですが、一般的にはFrauが使われているような気がします。
 
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