突然死は、本人としては「死ぬ」という感覚さえもないのかもしれず、「思い残す」という感情に苛まれることさえないのかもしれません。
死別後、「あの日、明日死ぬとわかっていたら、彼は何をしたのだろう」と思うことがよくあります。
考えても、結局はわかりません。
誰でもいつかは死ぬので、「明日死ぬ」という確率はある意味、毎日50%ですが、戦時下でもない限り、感覚的にはそんな高確率だとは思えません。
目の前で、健康そのものだった大切なひとが突然亡くなるという経験をした後でさえ、自分が「明日死ぬ」という仮定や想像はなかなかできません。
逆に、いつもいつも「明日死ぬと仮定」していたら日常生活に支障をきたします。
でも本当に「明日死ぬ」ということは起こりえるのです、 毎日50%の確率で。
私たちは毎日、無意識のうちにそのことを忘れていますから普通に生活ができます。 その「明日」は「いつか」であって「明日」ではない、そんな感覚です。
私の伴侶は、心臓発作を起こした日、キッチンで洗い物をしている私を後ろから突然抱きしめました。「グラス洗ってるのに危ないじゃない」と言うと、「時間がないんだよ」と言いました。
その日を含めて3日間の休日でしたから、「時間がない」ということはありませんでした。
出かける時にも、突然「あのジャケットだして」と、私がよく似合うと褒めたジャケットをものすごく久しぶりに着ました。
まさか自分がすぐに死ぬとは思っていなかったと思いますが、何か本能で感じるものがあったのかもしれない、と思うことがあります。
もしも「100%明日死ぬ」とわかったとしても、結局は何もできないのかもしれません。
それでも、時々は「もしも明日死ぬとしたら」と考えてみることは無駄ではないかもしれません。
本当に大切なことや大切なひとの存在にきっかけになります。
あの日から今年で5年になります。 あの日の会話、空気感もはっきり覚えています。 あの朝感じた漠然とした不安を思い出す度に、人間には「死」を予感する能力が本能的に備わっているのかもしれない、と思うことがあります。
今日のドイツ語 ( 553 )
Jacke (ヤッケ)
これは英語の「 Jacket」で 「ジャケット、上着 」の意味です。
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コメント
コメント一覧 (2)
明日、と言われたら。
愛する人と一緒に、お気に入りの服を着て(ちょっとステキな自分を演出して)
好きなものを食べて、ゆっくりまったりしたい。
そんな感じでしょうか?
お家で二人っきり、どちらかがシャワー中、あるいは朝起きてみたら…というよりはHASANAさんにとっての負担が少なくなるだろう、そんな神様仏様ご先祖様の力がダーリン様の力が働いたとしたら。
切ないです。
お気を悪くされたらごめんなさい。
私ももうすぐ満5年、この季節は何もかもが辛いです。
HASANA
がしました