何年か前、週刊誌の記事をきっかけに皇室のお宝がヤフオクで売られているということが執拗に話題になっていた。

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その頃、当時の皇太子妃である雅子妃が第一ティアラをつけないのは彼女がどこかで売ってしまったからだ、とアンチ東宮というひとたちがやたらと騒いでいたが、さすがに一般人のカチューシャでもあるまいし、ティアラをご自分の部屋に保管したり勝手に売ったりは出来ないだろうと思ったけれど、ネットでは随分と騒がれていて呆れて見ていた。


その第一ティアラとやらを今回の改元の一連の儀式で皇嗣妃となった秋篠宮妃がつけた写真が出回ったのはちょっと笑えた。ティアラをヤフオクで売った、と騒いでいたのは秋篠宮家擁護派が中心だったから。


当時は、行きすぎた誹謗中傷には東宮家や宮内庁が反論すべきではと個人的には思ったが、あまりにもくだらなくて反論する気にもなれなかったのだろう。


適応障害で休養していた雅子妃に対するバッシングは凄まじいものだったが、先日即位した徳仁天皇の「人格否定発言」以外、ご本人たちから反論などはまったくされなかった。


日本人ではあるが、インドネシア国籍のデヴィ夫人が「廃太子・廃妃」の署名集めをして秋篠宮を皇太子に、と主張したことにも驚いたが、それを一部マスコミが支持していることにはもっと驚いた。それでも東宮家も宮内庁も反論はしなかった。


しかし、今回の改元、新天皇即位の一連のニュースをみていて、反論などなさらなかったことは正解だったとつくづく思った。おそらく「品格」というものはくだらないことに目くじらを立てずに淡々とやり過ごすことで守られるのだろう。


私たち一般人は、批判や誹謗中傷を受けるとどうしても反論したくなるし、実際に反論してしまう。 しかし、反論すべきことにはしっかりとすべきだが、あまりにもくだらないことには反論せず無視する姿勢を貫く、というのがひととしての「品格」を育み最終的には周りからの信頼を得ることにつながるのかもしれない。


改元のニュースを見ながら、過去のマスコミ報道やネット上での東宮家(当時)に対する誹謗中傷を思い出し妙に感慨深く、色々と考えさせられた。


批判や誹謗中傷の類がどれだけ精神的な負担になるかは、一度でも経験すればよくわかる。どうしても反論したいという気持ちを抑えられずについしてしまうのが人間だ。 反論が必要不可欠なときも確かにある。しかし、反論するということは相手の土俵にあがるということであり、それによって失うものも大きい。


「ヤフオクで皇室のお宝が売られている」「そういえば皇太子妃が第一ティアラをまったくつけていない」「ティアラも売ったのかも」「ティアラもヤフオク?」と、こんな風にして無責任な憶測に基づく誹謗中傷が広がっていった。


当時は適応障害という心の病に対する理解も低かったので「仮病」、「休んでばかり」などのバッシングにそれらの誹謗中傷が加わり、しかも男子誕生を待ち望む一億総小姑からのプレッシャーで雅子妃は神経が休まる暇もなかっただろう。それまで海外メディアは日本の皇室にはあまり興味を示さなかったが、見るにみかねたのかこぞって日本の皇室制度や雅子妃擁護の特集を組むようになった。しかし、国内ではあまり報道されることがなかった。


ZDFドイツ放送も1時間以上の特集を組んだので、亡くなった私の伴侶も「プリンセス・マサコ」のことだけはよく知っていた。





批判、誹謗中傷への対応というのは本当に難しい。もちろん、我慢し続けるのは体に悪いが、「ヤフオクでティアラ売っただろう」的な低俗な誹謗中傷にまで本気で反論していたら逆に体がもたないだろう。「皇位継承のための男子誕生」も努力でできる類のものではない。そもそも過去の多くの天皇は側室の子どもであり、子どもを産むことができなかった皇太子妃や皇后も多い。それを考えると男子を授からなかったことで心を病むまで追い詰められた雅子妃の「妃」としての人生というのは本当に過酷な「前半」だったと思う。


眞子内親王の結婚問題もあり、今では皇室批判の矛先は秋篠宮家に向いているが、かつての東宮ご夫妻のように10年以上の歳月を黙ってバッシングに耐え続けることができれば、きっと今回のように流れも変わるのだろう。だからと言って過度な批判や誹謗中傷が許されていいはずはないとマスコミも私たち一般人も認識すべきだとは思う。


日本国憲法が規定する天皇の地位は「日本国民の総意に基づく象徴」であり、その「象徴」とは憲法草案に記載された「シンボル」を和訳したものだという。 つまり、対外的には「日本の天皇を見れば日本人がわかる」とも言える存在、ということにもなる。 平たく言えば「国民の範となるべき責務」を暗黙の了解として負っている、ということでもある。


ありえないほどの誹謗中傷にもひたすら耐え、沈黙を貫くのは本当に大変なご心労だったと思うが、それも次代の天皇・皇后として、日本国憲法における「象徴」の持つ深い意味をお考えになってのことだったのだろう。


一般参賀のニュースで新天皇・皇后の笑顔を見て、「忍耐の勝利」だと思いながら、新しい時代はきっと良い時代になるだろう、となんとなく晴れやかな気持ちになった。


そういえば、ブロ友さんが「皇室の話題を始めたらオバさんになった証拠ですよ」と言っていたが、言われなくてもすでにオバさんなので、とりあえずその忠告は無視してこの記事を書いている(笑)


「令和」が多くのひとにとって光をもたらす時代、光に向かって進もうと思える時代であってほしいと思う。


 今日のドイツ語 ( 474 ) 

Prinzessin (プリンツェッシン)

この単語も2度目ですが、これは英語のprincessで、プリンセス、王女、妃など王族・皇族などの女性に用いられる称号です。
 
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